個人の中のイノベーションのジレンマ
前回の続きで『イノベーションのジレンマ』の応用編です。
これを読んでいて、これは個人の中にも同様のジレンマが存在するのでは無いかと思うようになったので書いておきます。 うまくまとめられるか自信がありませんが。 『優秀な人が、なぜ突然破壊的技術が必要なプロジェクトにおいて、その優秀さ故、見当違いのデザインをしてしまうのか。』 『イノベーションのジレンマ』の話は、個人のリソース割当問題と考えると、個人にも適用できるコンセプトなんでは無いのでしょうか。 ここでは、リソースとは個人がスキルアップに使える時間と考えてください。 まず、優秀な技術者は顧客の要望する技術、つまり市場価値の高い技術を習得する事に一番時間を使ってきたはずです。またそれが正しいとされています。 そして、どんどん多くの顧客に頼られる技術者となっていきます。やがてそれが連鎖して仕事のリピート率は上がり、その顧客と技術者の関係は強固に成っていきます。 当然、その関係が強固になればなるほど、信頼関係も大きくなり、ビジネス的な金額も大きくなるため良好なサイクルが形成されます。理想的なWin&Winの関係です。 その結果、より要望にあった技術を習得するモチベーションが上がり、個人はよりブラッシュアップを続けて行きます。 供に成長でき、どこから見ても問題は無さそうに思えます。 それ以外の、これまでの延長線とは違う破壊的技術への備えは重きを置かれる事はありません。 しかし、技術者として長期的に見た場合、これが正しいと言えるかは疑問が残ります。 それがこのエントリーのテーマです。 ここで言う破壊的技術とは、オープンソースのミドルウェアやライトウェイトな言語環境などをイメージしていただけるといい思います。 全てを作りこむのではなく、これらをまるでテコの原理のように利用して、問題を自分の脳味噌に入る範囲、自分の使える時間の範囲に縮小します。 しかし、問題なのはこの技術を習得するには時間がかかるため、要望されてから習得するようでは間にあいません。 日頃顧客から信頼され、優秀と思われているが故にそれが仇となってしまいます。 テコを使わずとも解決できる場合は多いし、成功してきたはずです。 しかし、それがある一定の臨界点を越えると完全に問題に直面したり、ライバルに出し抜かれます。 ライバルから見ると優秀かも知れないけれど、過剰品質なものができ、しかも一番重要な『柔軟性』が失われた物になります。 これは、品質の定義が変わってしまった市場では完全に出し抜かれているのに、本人たちはその古い定義の上での優秀さで目が曇ってしまい、失敗した事に気づくのに遅れます。 優秀な人が、その優秀さ故に陥るジレンマです。 では、どうすればよいのでしょうか。 私の提案です。 今すぐにお金になりそうな技術以外にも目を向ける。あるいは目を向ける理由を見つけることです。 一つは自分自身が顧客になってしまうことです。 自分が使う物を一番コンパクトに美しく作る方法を探し続ける事です。 それは、結果的に破壊的技術(=イノベーション)であることが多いはずです。それによって、破壊的技術を習得してしまうという連鎖を続けます。 これでイノベーションのジレンマをいくらか回避できるのではないかと思っています。 但し、前述の本『イノベーションのジレンマ』とも共通することですが、どれが次の破壊的技術かはあらかじめわかりません。 それは、早々に諦めることですね。全く何もしない『ゼロ』よりは確実に一歩前へ行っている筈です。 あとは、時間をどれくらい破壊的技術に配分するかという問題があるので、別のジレンマもあるわけですが… 自分は優秀で前途洋々と思っている人ほど、気を付けてくださいませ。ちなみに、私は優秀ではありませんのでテコの原理を使うわけです。 追記: 中島聡氏のエントリに図解、イノベーションのジレンマを見つけたので、リンクしておきます。