紙飛行機の思い出
ふと、僕が小学生の時、近所の幼なじみと紙飛行機を作って遊んだことを思いだしました。 僕は昔から、何かを作るということが好きでした。 特に、ねんどやダンボール箱をこねくりまわして、車やヘリコプターなどを作った事を覚えています。 ある日、いつものように幼なじみと紙飛行機を作ってどちらが遠くまで飛ぶか競争をしていました。 二人とも試行錯誤を繰り返したあげく、遠くまで飛ばすのにも飽きてしまいました。 そうなると、僕は距離よりも少しでもかっこよく速く飛ぶ飛行機の製作に興味は移って行きます。 結果思いついたのが、紙飛行機の先端を折鶴の頭部の如く下向きに折り曲げて、先端を重くして航行速度を上げるという アイデアでした。作ってみると外観も本当にかっこよく、真っ直ぐ飛んだのをよく覚えています。 続いて、幼なじみも負けじと同じアイデアで先端の折り曲げる量を変えたりして、宙返りが簡単にできるカッコイイ紙飛行機を作りました。 その時、僕はなんと子供だったのでしょう、『人の真似は禁止』とつっかかっていって、その幼なじみの紙飛行機がどんどんかっこよくなっていくのを根本から阻止しようとしました。 普通ならタダのガキのよくある風景だなと思うだけで通り過ぎるかも知れませんが、僕はここで知的財産権とソフトウェア特許に重ねあわせて考えてしまいます。 『自分のアイデアを真似されたくない』これは根源的なものなんでしょうか。 オープンソースソフトウェアのメリットを実体験している今となっては、過去の自分が愚かしく見えますが、子供の頃の自分がそんなことを言ったということは、なんの疑いもなくアイデアの無断利用は間違いだと思っていたし、それが常識だったのかもしれません。 その後は、幼なじみの抗議を受け入れ、仲直りして紙飛行機を改良しては二人でスゴイスゴイと言いながら楽しく遊びましたが、今でもその時の幼なじみの抗議での『なんと理不尽な』という表情は忘れていません。 アイデアの再利用のメリットは大きいけれども、それを身を持って体験するというのは貴重です。 僕は、何時からアイデアの再利用・共有の推進派になったのでしょう。しかもオープンな再利用の推進派に。 残念ながら何時からかははっきりしません、こういう経験の連続で少しずつ考えが固まっていったのでしょうか。